『浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく』

生島淳の「浅田真央はメイクを変え、キム・ヨナは電卓をたたく」を読んだ。
最近の親書は、月刊誌・週刊誌並みの読みやすさだ。スポーツ月刊誌かビジネス紙のレポートとしてあってもおかしくないかんじの本だ。
スポーツジャーナリストの書く本やレポート記事が嫌いじゃない私は、立ち読みしながらけ結局すぐ買うことになる。
そうだよなあとか、やっぱりなあ、と思いながら読み進めた。自分の感想や観察や読みが、あながち外れていないと感じる。
バンクーバーオリンピックの前に、どこかの記者が浅田真央とキムヨナの演技リストを並べて、「2人とも、どちらも完ぺきに成功したとしても、キムヨナの方がスコアを取る技術の並びになっているんです」と解説していた。
成功しても完ぺきに滑って得点をもらえても勝てない演技構成に、どうして真央のコーチはするんだろうと思っていた。誰もタラソワコーチを止められなかったのか。
女性スケーターの選手生命は、二度のオリンピックを共に絶好調で迎えることができるほど長くない。その最高のチャンスの一つを、無理な押し切りかたで、才能の割には惜しい結果にしてしまった。、
唯一のよかったところは、あの「鐘」という素晴らしい作品をすべらせたことだ。

天から降りたかのようなスケートの天才を、どうか運がよくあってほしい、と本を読みながら祈る羽目になった。