私の仕事は、決断すること、仕事を振ること、責任をとること
今日、資金調達の話し合いをした。
相手側担当者は、明らかに優秀。
その中で、思った。
我ながら、本当によくまあ、代表が務まっているなあ。と。
数字や会計関係は、曖昧。あの会計資料、この経理資料は、これまた、不確か。
私は全部、その場で、担当者に電話をかける、聞くしかない。
その相手側担当者が、疑問を投げ掛けるであろうよりも先に、私の方が、思った。
…じゃあ、代表、あなたの仕事はなんですか……。
帰りの電車の中で、考えた。
「私の仕事は、決断すること、仕事を振ること、責任をとること」
そう、組織トップの仕事は、これにつきる。
だから。
良い決断をするために、良質の休み時間をとる。仕事を的確な相手に振るために、よくよく人を見極める。そして、責任をとるとるときは、逃げない。
「理由のある幸福は、形を変えた不幸である」立ち読みしたが書名を忘れた本から
昨日、空港に向かう間に、二つの本屋に立ち寄り、いくつもの本を立ち読みした。
で、結局、いまこれ以上荷物が増えるのは重いと、買わなかった。
しかし今日、どれかは忘れたが、そのうちの一冊の、どの部分かは忘れたが、そのうちの一行が、頭の中で回っている。
「理由のある幸福は、形を変えた不幸である」
こうなったら、読み返そうにも、買いたくとも、書名を忘れた。あらゆる分野を立ち読みするから、分からないし。
引っ掛かった一行だけが、頭をめぐる。
本というのは、たとえ何でも、数行しか用がなくとも、出会った時に買うべきだ。
薬指の爪が横に割れた、別に大層なことがあったわけではないが、何となく悲愴感が出せそうな(笑)
爪が縦に割れた。そんな経験があるだろうか。
キツくてもそれは普通だ、と誰かが言った。そんな記憶がある(笑)
爪が横に割れた。この経験を初めてしたとき。
私は戦慄した。‥‥‥。
あ、大袈裟か(笑)
でも、暫くは「爪が横に割れたんですよっ」と、何度も強調した。
さて。
いま、辛くとも、ハードな日々でもない。それなのに、今日、爪が横に割れた。
これは、なんだろう。不可思議だ。変だ。
だって最近、なんの苦労もないし、心痛もない。それなのに、何故に、爪が横にわれる。
誰か、教えてほしい。
誰か、知恵をさずけてほしい。
誰か、な~んだ、という真実を教えてほしい。(*≧∀≦*)
「人は限界を越えるとき(臨界点にある時)に笑う」んだって。
笑いを研究したベルグソンがそう言った、と、昔聞いたことがある。
「人間はその限界を越える時、臨界点に達したときに、思わず笑う」という内容だ。
いま、記憶をたどって、ネットを調べるくらいでは、その言葉の原点が、見つからない。正確な言い方も、見つからない。
とにかく、それを聞いたときに、なるほどと感嘆した。私の理解で記憶した。
そして、確かにそうだな、これのことだな、という場面に、最近、数回遭遇した。
ある時、話している相手が、笑った。何も可笑しくない、むしろ哀しい。たぶん、その人の怒りの記憶と自己肯定感の、バランスが崩れた。だから、その人は笑った。思い出であっても、我慢の限界を越えたのだ。
また別の時。とあるプロジェクトチームが、緊張と集中の連続で、追い込みがピークに達した。すると、誰が何を言っても、皆が笑う。何かに皆が笑い出す。些細なことに吹き出す。言葉が最後までいかずに、笑い転げる。そんな感じだ。
本当に、限界、臨界点に達した時に、人は笑い出すのだな、と思った。
今日、私は、ある職員の相談を受けて、切った後に笑い出した。笑いながらmailで確認の文章を打った。可笑しいことは何もない。私のある感情が、限界を越えたのだ。(笑)
「黄色のない青、オレンジのない青。弟よ、それは僕にとっては青ではないのだ」
ゴッホ。弟テオに書いた手紙の一文。
ゴッホを語ろうとするとき。テオを主人公にしたら、どんなに面白い物語りになるだろう。
と思う人は、たくさんいるらしく。
実際に、コミックで、テオが主役のがあった。カッコいいビジュアルのテオだった。
また。ゴッホを描こうとするとき。その才能評価への不遇と、本人のそれでも描いていく姿を中心にしたら、どんな表現になるのか興味がわく。
そう考えた人は、たくさんいて。
イギリスのTVドラマ『ドクターWHO』で、描かれていた。私は、ドキドキしながら見て、ゴッホと一緒に泣いた。
天才の人生というものを考えたとき。
時代の無理解と反対にそれを分かってくれる人がいる、とか。破壊と創造とか。嘲笑と想像力とか。悲劇と幸運とか。
そんな対極の言葉が、思い浮かぶ。
プログラムのセルフイメージを高める声とセリフ
何度も、アイススケート全日本選手権の、アイスダンス、そのビデオを見ている。
私は高橋組を応援していた。高橋大輔が好きだから。
しかし、小松原組のフリーダンスを見て、ハッとした。
その音楽に、NHK杯までは、入っていなかった声による語りが、突然、組み入れられたのだ。
夏木マリが、その声で、セリフをいう。
声といい、台詞の言葉といい、語り方といい、すごい。声による音楽。声の説得力。声の力。
その声と台詞だけで、この小松原組のフリーダンスが、崇高で、ドラマチックで、そして『優勝者のプログラム』になったのだ。
滑るものも、見るものも、統括しようとするものも、その印象は最高レベルに引き上げられた。
あるのだ。
プログラムを、作品を、プロジェクトを、最高唯一に引き上げるセルフイメージ、それが確立するときが。