「文学はアフリカの飢えた子どもたちに何ができるか」サルトル

きっかけがあって、早稲田公共経営の現役学生と卒業したばかりの学生、数名と会って話した。
ネット上では、早稲田公共経営研究科の修了生の公共経稲門会のメーリングリストで、被災地の現状や、援助や支援のルートの情報、募金活動の立ち上げ、議論や意見の開陳等、様々な情報が回ってくる。
公共経営に来る人達は、MBAではなく公共経営を選んだ。それくらいの人たちだから、考えることは、似ている。
ほとんどが根底に「自分が何ができるか、自分は何ができるか」の問いがある。
現役生たちも同じだった。話題のほとんどが「何ができる? 何をする?」だった。
その問いの答えはには、様々な答えがある。
話している間ずっと、サルトルの「文学は、アフリカの飢えた子どもたちに何ができるか」という問いを思い出していた。
それは現実の前には何の役にも立ちそうにないこと、今すぐには何の役にも立たないことの象徴である『文学』をとって、問いかけたものだ。
これに『芸術』や『哲学』『芸能』『サブカルチャー』『民間伝承芸能』などの言葉を当てはめてもいい。それは不急不足のもの、平和を前提するもの、生活の充足がなければ発展しないもの、などだ。
考えながら電車に乗った。
すぐにできること、今できること、自分ができること、がある。それはやる。
同時に、即効性はないがいつか必要になること、いつかやるべき事、自分がやるべきこと、もある。
そう考えながら、帰宅した。