ストレスと沖縄なんくるないさ精神

昨日、新聞記事で、どこかの助教授が公然わいせつで捕まった、と書いてあった。
記事によると「自分の論文に行き詰って、ストレスを感じていた」とのこと。
かの有名教授のように、病気ゆえのわいせつ系は、止めようもない。
可哀そうでも、周りは助けようもないらしい。
しかし「ストレスによる」というのは、どうにかなっただろうに。
どうにかしてあげただろうに。

「ストレスをどうやり過ごすか」「ストレスをどう解消するか」が、現代を生きていく上での大切なポイントだ。
と私が感じるようになったのは、実際に仕事をしたり、責任がかかるようになってからだ。

自分の思いどおりにならないことがあるとき。
自分の現在の力量以上の負荷がかかるとき。
緊張状態が続く時。
自分の理想とはかけ離れた環境に長くいなければならないとき。
望んだ結果が得られないとき。
たくさんある。

緊張はハーレクインで緩和し、
マンガや本に逃げ込んで、辛さや苦しさを忘れ、
想像や妄想という夢で、今の不遇をやりすごす。

それでいいと思っている。
頑張りすぎて鬱になるようり、ずっといいだろう。

沖縄の言葉で、
なんくるないさ = なるようになるさ(ケ・セラ・セラ)
ちゃーんならんさ = どうにもならないさ
しむさ      = (もうこれで)いいさ   というのがある。

ほっておいても沖縄の人間はそういう精神になるが、
敢えてこの精神に逃げ込むのも、大事だ。
この沖縄の精神、欠点と言われるが、
私は有効に使わせてもらっている。