演劇「おやすみ、かあさん」の現代性

昨日、豊島区のあうるすぽっとで見た「おやすみ、かあさん」は考えさせられる演劇だった。
舞台というのは、楽しませる舞台、夢を見させる舞台、感動させる舞台、と色々あるだろうが、考えさせる舞台や問題提起をするための舞台というのもあるだろう。
「さよなら、かあさん」は当然、いわゆる考えさせる舞台だ。
まったく偶然、私は前日のコンサートの帰りに友人と入った居酒屋で、隣の席で現代の家庭を考えさせられる話題を聞いた。
友人がレストルームに行っている間に、隣から聞こえてきた会話に思わず耳をダンボにして聞きいってしまった、
深刻だが静かに繰り広げられる、母と息子の断絶と相克と無理解とあきらめの話題だ。「俺のうちは家庭崩壊だ」と友人に話し始めた大学生の話に、それドラマ?と思ってしまった。だが、内容は本当らしく、彼は話し相手に対して、携帯にカメラに収めた「母親がついに彼のベッドのシーツをハサミでズタズタに切り裂いた」という現場写真を見せていた。聞いていた話し相手の同級生らしき男の子も、どう反応していいのか分からない様子だった。
そのシール切り裂き事件の前後の話も、その男の子から静かに語られる。
その話題を偶然隣で聞いていて、翌日の朝、夫とそのテーマで論議し、劇場にいったら、ほぼ同じテーマを「おやすみ、かあさん」は演じていた。
なんという現代性。
この演劇が今演じられるということに、この企画をいま打った制作者の直感が正しかったのだ、と感じた。