会議をファシリテ―ションする

明日、私にとっては重要な仕事をする。
1分間ブレストを採用した会議の、モデレーターをするのだ。いや、ファシリテ―ターかもしれない。
このミーティングのやり方は、試行錯誤の末、私が考え出した方法とやり方になっている。
明日は、参加者とスタッフで30名。全員が存分に発言でき、充分に発言できたと感じることができるようにしなければいけない。
私にも自説があるが、その自説に誘導することはしてはいけない。
同時に、いくつかの仮説に基づいて、検証しなければいけない。
答えを出すのは参加者で、私はそれを上手に最善に助けることがでくるだけのだ。一種の産婆術だろう。
生まれてくる答えは、よくも悪くも、彼らの出した答えだ。私の答えではない。
だが私が未熟だったり、下手だったり、自分の考えにとらわれたりすると、良い答え・結果は出ない。
私が的確に、落ち着いて、とらわれることなくファシリテ―ションできれば、子ども(結果・答え)は、傷つくことなく、そのまま生まれるのだ。
生まれた子ども(結果・答え)が、器量がいいとか悪いとか、優秀だとかそうでないとかは、私はコントロールできない。してもいけない。
実にむづかしい。
前回、先輩に頼まれて(私にとって)大仕事をした。 そして成功した。
今回、またやるのだ。 参加者からして、さらに大仕事になる気がする。
この三日、ずっとその準備をし、考えて、シュミレーションしている。