カナダのプロホッケー選手と日本のサッカー選手、生まれ月が学年前半に集中する件について

「先が見えない時代の『10年後の自分』を考える技術」西村行功著を読んだ。
基本的にほぼ、読んだ甲斐があった、と思った。
だが、一つだけ、あれ?と思うところがある。他の部分がいいだけに、もったいない。
ちなみに、私は意見の違いやなんかには?と思わない。他人の違う考えや意見そして異なる体験や経験を知るために、本を読むのだから。
私が、ええ?と思ったのは、筆者があるテーマの件でケーススタディーとして出したものを、自分が初めて発見して考えたかのように書いている点だ。
サッカー日本代表の選手に、生れ月4月〜6月が半数を占めるという発見とその理由を探る部分。4月始まりという学校カレンダーの影響で、ジュニア育成と選抜の段階で差がついてしまうということを書いている。
それはいい。
だが私はだいぶ前にまったく別の本で、カナダのホッケーチームの代表選手が同じように学校カレンダーの関係で、生まれ月が年度の前半に集中している、その原因と理由について言及しているケースを読んだことがある。キッズ選抜の段階で学年の年度前半の子どもが体格や体力的に有利となって選抜に入りやすく、強化選手になれば対外試合の経験が積まれてうまくなるチャンスが増え、才能も発見されやすく、それがジュニア選抜強化その他後々まで響くというケーススタディーだ。その本の筆者は、原因とサイクルとしての結果を、説得力ある論理と数字で書いてあった。
この論理と、今回の「先が見えない〜」の筆者の書いてることがそっくりなのだ。
実は「先が見えない〜〜」の筆者も参考として「こういう例はカナダのホッケー選手の云々……知れている」とその旨を書いている。
だったらなぜ、「そのカナダの例を見て自分も日本のサッカー選抜を当てはめて考えてみた」と書かないのだろうか。あるいは実際に自分で発見して考えたのだら、「自分で発見して考えた後に、カナダの例とその照会がすでにあることを知った」と書かないのだろう。
他の部分がいいだけに、とても残念だ。