頭でっかちの登山、頭でっかちの趣味、頭でっかちの何でもかんでも。

よく「形から入る」という言い方をする。
例えばテニスとか登山とかのスポーツ、またはお茶やお花の習い事、ダンスや何かの趣味を始める時、先ずはその服や道具やなんかを揃えて、着て、最初に形を整える方法だ。
たぶん、それはある意味、一つの方法なのだろう。で、考えてみた。私は、やたらいろいろ手を出す人間だが、形から入るタイプだろうか、と。
結論。私は、何でもかんでも、「本から入る人間」だと。つまり読書による知識から入る人間だ。
昔、大人のバレエを始めた時(4年ほどやっていた)先ずはたくさんのバレエ本と雑誌を読ん。ブームが終わるころ見ると、段ボール1箱半くらいのバレエ関連本とムックがたまっていた。シューズやウエア選びより、時間をかけて楽しんだ記憶だ。ガーデニングに興味を持った時も、やはり最初に段ボール一箱分のホントムックと雑誌がたまった。道具は後からそろえた。実際より本の方が楽しかった記憶だ。
テニスの時も、シナリオの時も、茶道の時も、琉球舞踊とときも、その他も何でもかんでも、そして早稲田大学院に行く時も、さらにそのだいぶ前の日本での大学受験で日本史を選んで受験した時も段ボール一箱分の日本史受験の本がたまった。
受験の日本史は、結局そのうちの2冊しか、実際に使わなかったが、充分に活用した。その二冊のために、一箱分購入し目を通したようなものだ。
30歳での慶応大学の受験は、結婚した半年後に実行したのだが、結婚したばかりの夫はその時、私の「ブームの法則」を発見したと、いまだに言い張っている。
まず段ボール一箱分の本に触れなければ、あるいは読まなければ、この人の何かは始まらない、と。一箱は無駄ではない。最後の最高の一冊に到達するまでの、幅広い裾野なんだと。今だにカッコつけて、言っている。
さて。
最近の登山も、すでに段ボール半箱分になりかかっている。まだギアは、登山の三種の神器(登山靴、リュック、レインウェア)にとどまっているのに。実際の登山は、回数はわずかで行った山も低山なのに、知識だけは頭でっかちになっている。
つまりもしかして私の趣味は、「頭でっかちになること」なのかもしれない。