『今日は死ぬのにもってこいの日』『晴れた日には永遠が見える』午後に

昨日は朝から晩まで、エネルギーを放出する仕事の状態だった。
きょう、朝早くから起きて、まるで運動会の翌日のような、だが身体を使ったわけではない疲労感を感じている。
ぼんやりしたり、状況を憂いたり、リビングで寝ころんだり、考え事をしたり、討論したり、また未来を思いやったり。
そうやってリビングの床に寝っころがって、外の晴れた空を見ていると、『今日は死ぬのにもってこいの日』というネイティブアメリカンの言葉や、『晴れた日には永遠が見える』という歌の題名を思い出す。
死ぬのにもってこいとの日だといっても、いま自分は死んでやり残し感はないだどうか?
永遠は見えるだろうか?
まるで青春菌にやられた高校生みたいだ。