アウトプットがインプットを確定する

この三日ほど、政策アドバイザーとしての仕事に集中している。
ために、小説書きが進まない。
私は、午前中を創作(小説)や政策レポートや提案書書きなどの、アウトプットをする時間と決めて一年近くがたつ。
小説を書くときは「これから思い切りウソをつくぞ」「私の頭のなかにある想像と妄想を思い切り出していいだぞ」「タガを外して創造していい」と自分の心に言い聞かせる。
反対に政策レポートや提案を書くときは「事実に基づく」「絶対に裏付けを取る」「ウソや誇張を絶対にしない」「データを曇りなく見る」とまたまた頭に言い聞かせる。
どちらにしても、午前中をアウトプットの時間に当てる。以前は午前中の二時間をかけて新聞5紙をくまなく読むのを楽しみしていた。20年以上も続いた習慣だった。
だが切り替えた。午前中はアウトプット。インプットは午後にすると決めた。午後にやりたいことをやり行きたい場所に行き、新聞を読み、本を読み、ビデオやテレビ、ネットを見るし映画に行く。
切り替えの根拠は「朝一番に自分の仕事(創作)を持ってきなさい」という小説作法の本に書かれた言葉と、「アウトプットがインプットを確定する」という語学学習の定石からだ。
インプットばかりしていても、アウトプットしなければ形にならない。思ってばかりでも実行しなければ何にもならない。
だがインプットは楽しいから、ついインプットの比重が大きくなる。アウトプットは努めて決めてやらなければ、出来なくなる。
さて、それにしても私の場合、インプットがあれこれとチャンプルーなので、アウトプットもあれこれとチャンプルーになる。
そういうわけで、翻訳をしている午前中、レポートや提案を打っている午前中、そして創作をしている午前中があるということになる。
インプットは意識しなくても自由に好きなようにできる。のに、アウトプットは心に言い聞かせて、おまけに同じ午前中に違うベクトルはできない。
まるで正確・整理・分析脳が働く時は、創作脳は押さえられているみたいだ。