「祈りとは勝利の創造力」

アルベルト・城間ひきいるディアマンテスの『勝利の歌』を聞きながら、考えている。
ここ数日、自分恒例の「これからの30年ミッショントと20年戦略と10年計画と来年度TODOリスト」なるものを、考え考え、想像し、思いめぐらし、書いている。
そこでいままでのノートをひっくり返すのだが、昨日、以前に自分でノートに張りつけたの新聞の切り抜きを見つけた。東京大学医学部のある医者の話だ。タイトルに『祈りとは勝利の「想像力」』とある。
おそらくこのタイトルで、私は切り抜いたのだろう。
彼は手術の前日に、祈りながら詳細に手術のシュミレーションをする。不測の事態が起きた場合も織り込んで、心の中で冷静にその対策をシュミレーションする、という。
手術の成功を祈る彼のシュミレーションつまり想像は、手術の勝利・成功を創造している事になる。
祈る=成功と勝利を心から納得するまで想像でする、想像できる=勝利を信じる、それが勝利の想像力。ということか。
なんか二度読みで、余計深く心に染みた。
よく聞きとディアマンテスの「勝利の歌」も、勝利したあげくに歌う歌詞の内容ではない。いつか勝利する時を夢見て、勝利するための道のりの困難や孤独を乗り越えことを想像した歌詞だ。
友人や自分たちがいつか勝利することを信じている、という祈り、つまり「勝利の想像力」の歌詞だ。
もう一度、記事と歌の二つを整理すれば。
具体的に勝利の道程をシュミレーションすることは、勝利を信じれるまで想像すること。勝利を信じ切れるまで想像することとは、「願い」が成功を必死の祈る気持ちに変わること。それこそつまり「祈る」ということ、それが結果「祈りとは勝利の創造力」ということになる。
……まあ、毎日飲んでるわりには(笑)、ついに私も哲学的な悟りに至ったなあ。(爆笑)
今年、私は幾度も祈った。
無事でいてくれ。生きていてくれ。元気になってほしい。助けたい、自分が出来ることをやりたい。自分も頑張りたい。……。
それを単なる願いに終わらせずにいるには、「祈り」に替えること。つまり、無事であると想像しきる、元気であると想像しきる、自分が出来ることで助けることを想像しきる、自分が頑張ることを想像しきる。
今後は祈る。勝利を創造する。