社会人が大学や大学院を受験する時にじゃまになるもの

沖縄から帰京。
精神的な腕力と、細やかな神経を必要とするコーチングのため、とても疲れた。
友人の家は海がすぐそこだ。まあ、沖縄はほとんどが30分歩けば海に着くという島だが、ここはまさに1分で海。最終日の朝、初めて、金武湾を望む砂浜まで散歩して、佇んだ。そんな時間さえなかったのだ。
疲れ果てた神経には、海はよく効く。雨に濡れながら、海岸に座って海を見ていた。
で、疲れも取れて、あとひと仕事して、空港に向かった。
思うのだが、現在はほんとうに、社会人・大人が大学院に行く時代だ。大人が、いまからもう一度大学や大学院に行きたいという人は、潜在的にも多い。だから私のブログに、メールをしてきてアドバイスを求める人がいる。
で、社会人の進学のための準備勉強をしていくうえでに邪魔になるのは、他でもない、その経験や成功体験だ。これはメリットでもあるため、なおさら始末が悪い。
本人の知恵や知識、能力なんて、大学院に進学しようとする人は、みんなある。本人が思っている以上に、ある。
だが難しくするのは、知識や知恵の不足ではなく、知的体力や知的筋力の不足であり、それを自覚できるかだ。でも経験や成功体験がそれに気づかせない、それを認めさせない、コーチの言うことを素直に聞けなくする。
プレイヤーはその場で戦っているのだから、横から又は上空からの視界があるわけではないあっても推定と想像による視点だ。
コーチは本人より出来るからコーチをできる、のではない。本人がこの点においてアリの視線・視点でいるときに、鳥の視線・俯瞰図から見ることができるからコーチをするのだ。アドバイスをできるのだ。
自分と同じか自分より下の者、この分野で自分の方が優れている場合、そして経験や成功体験が方法な場合、ついコーチの言うことをつい聞かない、または軽んじる。
社会人のばあい、そこが難しい。