予想不可停電

「計画」と言うものを考えている。
計画というのは、たとえそれがネガティブなものであっても、発表された以上は、実行されないと、不思議にも、ほのかに腹が立つものだと分かった。
計画停電が発表され、実施されて以来、それに備えて、いろいろ準備した。心も、行動も、予定も。
そうやっているのに、発表された計画通りになったりならなかったりだと、準備したことが、あれは何だったんだ、といことになる。
心の準備が肩透かしを食い、変更した予定がパア〜になり、用意したことがムダだった、となる。オオカミ少年にだまされた気分だ。
実際「たぶん、また(停電)ないよね」といって、計画時間帯にエレベーターに乗る人を見た。
それからまた、同じように計画の範囲に入るのに、実際に停電させるところとそうでないところは、どうやって決めたのだろう? より田舎と都市の違いだろうか? などと考えたりする。
ほのかにムカつく。
いっそ、予想不能停電、又は予想不可停電ということにしたらどうだろうか。今日は第5グループのどっかが停電します、又は停電しません、というのだから、予想不能、予想不可停電だろう
さて、一方、原子力だが。
落ち着けというが、原子力に関しては、発表を間引きして聞く、いや拡大して聞こうと思う。
これまでも常に、小さめに発表していたのだから、その分、補充して聞くのが、発表を聞いた側の、普通の人間の対応だろう。
これを歴史何千年の中国では「上有政策、下有対策」という。お上に政策あれば、下々にはその対策が有る、という意味だ。