ある意味むつかしい講義

武田修三郎教授の「フィロニーモス」の聴講のために、雨の中、1時間半かけてキャンパスに来た。
すると教室に、見知らぬ学生がいる。若い学生K太が、聴講に呼んだ友人だ。
本来、学生は正式に受講している人がK太と韓国留学生の2人、そして今期は都合により申請していないが聴講を続けている私だけだ。この講義は、分からない人には全くうけない授業らしい。
大丈夫か、K太? 思わず声をかけた。
実はK太は、前にもショッピング期間に数人ほどに「この講義は素晴らしい!」と大宣伝して来てもらい、そして玉砕したことがある。(笑)
あのとき「こいつがすっごく勧めるので来ました」と言っていた学生数人は、講義が始まると爆睡し、翌週、跡形もなく消えた。私が危惧していたとおりになった。
私も友人にこの講義を勧めようかと考えたことがある。だが私には、この講義のストライクゾーンが、普通とはひどくずれているらしい、ということが分かっている。年の功で。(笑)
若いK太は、自分が感動する講義なので、自分の友人たちもきっと感動するに違いないと、信じているのだ。
私は、K太のためにも、今日だけ来たというこの学生に、「この講義は素晴らしい。だけどその面白さは、場合によっては感じないかもしれない。話は遠くにも次元深くにも飛ぶかもしれない。遠くに飛んだ場合は分かるが、深く飛んだ場合は理解しにくいかもしれない…。場合によってはただの博識の老教授に思えるかもしれない…」といろいろ予告した。そして出来るだけ、価値のある講義であることを強調した。
若いK太のがっくりする顔を見たくなかったからだ。
講義が終わって、教授が帰った後にその学生の顔を見て、安心した。とても感動したという顔をしている。そして「聞いて良かった。深い。」などと私たちに語った。
よかったあ!  よかったねえ、K太。