秋が来た。季節は巡る。

必要性があってもう一度、会議のファシリテ―ションをすることになった。前回の成功と好評があっての結果である。よかった。
するとまた、準備が必要である。神経を使ってシュミレーションし、何が課題で何が問題かを、いま考えているところだ。
さて、暑い。それでもしかし、これは秋の暑さだ。
季節が変わるというのは、なぜだかさみしいものだ。特に夏から秋に移るとき。
私が生まれた沖縄は、基本的に四季がない。「冬もある」と言い張る沖縄人がいるが、冬はない。(笑)寒い時期、というか熱くない時期、があるだけだ。
始めて東京に来て、樹木から黄色くなった葉っぱが落ちるのを見たとき、身にしみる秋風を体で感じたとき、私は「ああ!これが秋というものか」と驚いたものである。
そしてとても「秋というのは、確かに、歌のとおり、とてもさみしいものなんだな」と感じた。
それまで、様々な歌の中で秋が象徴的に寂しさや哀しさ、分かれやわびしさの代名詞として使われる事の意味が分からなかった。
そして東京に来て始めて、秋という季節に巡り合わせて、「秋はさみっしい」と決めたのだ。きっと同じような恋人同士の別れでも、秋に分かれたら格別にさみしい。
結婚した年、「ああこれで秋が寂しくない」と思った。実際、ほんとに寂しくなかった。
子どもが生まれたら、もう忙しくて季節がどうのこうのではなかった。そして息子がいたから、恋人がいるのと同じ効果で(笑)、秋も寂しくない。
で、今年。
あれ?久しぶりに秋に寂しさを感じた。息子がいないから?
かつて、私に秋の寂しさを忘れさせてくれた夫は、すでに効力を失ったか?(爆笑)