ブログを書くということ

アメリカの息子から、「ついにブログ読んだ!」とメールが来た。
誰のブログ? と返した。
打ちながら、あ、もしかして、このブログ? この私のブログを見たということ? と分かった。
そう言えば、8月にアメリカに行ったとき、夫が「ママのブログを見たら?」と言っていた。自分は読まないくせに。
このブログは、誰かに読ませるために始めたのではない。
自分の考えや思いやアイディアを、アウトトップとするために打ち始めたのだ。自分の考えや思いに、嘘をつかないために、本名にした。
ハンドルネームにすると、自分自身ではなく、自分のハンドルネーム(が表現する自分)に対して、嘘をつかないブログになりそうだったからだ。そうして段々ウソになるのが、イヤだと思ったのだ。
自分に向かって打っている。アウトプットして、確認している。
大学院のことも、自分の分身に紹介している気分で、打っている。
だから、友人から「見ているよ」と言われると、ぎゃあーという気分になるのだ。
いろんな友人から「じゃあ、何でブログを書く」と言われる。そのとおり! だけど、自分の気持ちも嘘じゃない。
…しかし、そろそろ、別の面も出てきたかもしれない。次の局面にきたかもしれない。