人間の記憶はかなり勝手なものらしい
山之口獏という詩人がいた。とてもいい、哀しい詩を書く人だ。沖縄出身。
獏(バク)というのは夢を食べて生きるという伝説の動物。ペンネームからして、夢、ゆめ、ユメと言っている詩人だ。初めて教科書で読んだときに、確か写真が載っていたはずだ。だが顔をあまり覚えていない。
ところが数年前に芥川賞をとった「苦役列車」の作者・西村健賢太の写真を見たとき、「あ、なんかこの人、山之口獏だ」と勝手に思ってしまった。印象が山之口獏なのだ。それ以来、西村賢太を見るたびに夢枕獏と思ってしまう。
これは分かっていても印象を切り離しきれないパターンだ。ほっておくと、記憶の書き換えが起こってしまう。(笑)
だから一生懸命、この人は西村賢太、苦役列車の人、と確認するようにしている。しかし、それでも頭の隅で「沖縄出身だよね」と、また勝手な印象操作・記憶操作が起きる。いつか失敗しそうだ。どうする?(笑)
それでも、分かっていて記憶の書き換えが起こるのは大した問題ではないだろう。(いや問題だけど)
一番の問題は、自分で認識しない記憶の間違いだ。人間は自分で知らずに記憶の書き換えや人生歴史の塗り替えをしているらしい。自分の都合のいいように記憶したり、自分の体験でないものを自分の実体験として覚えていたり、事実が入れ違って覚えていたり……。記憶は、かなり自分勝手だ。
最近読んだ新聞の誰かのエッセイでも、自分以外は全く覚えていない出来事を鮮やかに何年もトラウマになるほど記憶していた、という内容の文章があった。
他にも最近、実はいじめる側だった人間が、自分は苛められたと記憶していた、ということを読んだこともある。でもこれは、もしかして願望や希望が、記憶違いを起こしたのかもしれない。